風の気のままに記

       

 
  2005. 9. 28. Wed
      愛犬ジャッキー@
  
 多分最後の力を振り絞っているのだろう。苦しがっている様子はないが、お座りのスタイルで、コックリコックリやっては前足でよろけながらも踏ん張っている。 
 見ているのがつらい。「ジャッキー、もうそんなに頑張るなよ。横になりなさい。横になった方が楽だろう。」私がそう話しかけても、とろんとした眼で一瞥するだけ。また、お座りのスタイルでコックリコックリよろけながら前足で踏ん張っている。 
 今年の11月の下旬になれば満14歳。人間で言えば90歳くらいの老犬。若い頃は散歩に付き添うリードを持つ飼い主を引きずり回すほどの元気ものだったジャッキーも今は立ち上がることさえ難しい状態となってしまった。 
 既に死期を悟っているのか、眠るとこのまま死んでしまうとでも思っているかのように、眠りに落ちないよう我慢してお座りをしているようにも見える。 
  
 夏になる前、この夏が越せるだろうか?と思った。しかし強靭な肉体と図太い無神経さで見事乗り切ったかに見えた、のも束の間。九月に入って多分熱中症だろう、下痢と吐き気に見舞われた。しかしそれも数日で回復し立ち直ったかに見えた。それが昨日の朝から急変し、食べ物も飲み物も一切口にしなくなった。 
 丈夫な犬だったから、病気一つしたこともなかったので、かかり付けというわけではないが、年に一度、登録と狂犬病の予防接種とフィラリアの予防薬でお世話になっている獣医に相談したところ、「年が年ですから、このまま見守るか、安楽死を選ぶかどちらかしかありません。決心がついたら連れてきてください。」と言われた。 
 私は安楽死賛成派であるから、できることなら彼の名誉のためにも早く楽にしてあげたい。しかし私以外の家族はそれを認めない。口の利けない犬が自分の希望を家族に伝えることはできないので、それも止むを得ない。 
  
 頑なと言えるほどに食べ物はおろか水さえ口にしなくなって二日目。子犬の頃、私の指先を乳首代わりにミルクを飲んだことを思い出して、手移しで飲み物や食べ物を与えようとしたが、顔をそむけて拒否するばかり。 
 話しかけてもとろんとした眼で恨めしそうに一瞥するのは、「お父さん、僕はもう死ぬんだからこのまま静かにほっておいて・・・。」と言っているようにも見える。 
 
 暫く寝ては、思い出したようにお座りし、またコックリコックリ・・・また暫く寝ては思い出したようにお座りしてコックリコックリの繰り返し。 
 私は左掌をジャッキーの顔の下にあてがい支えるようにして右手で頭を撫ぜながら、「もういいよ、十分頑張った。ご苦労さん。そんなに頑張らないで、もう楽になりなさい。」と言うほかなかった。



  2005. 9. 29. Thu
      愛犬ジャッキーA
  
 十四年前の十一月下旬の寒い日だった。友人から電話が入った。「ご希望の犬が手に入ったから取りに来て・・・。」 
 子供達が犬を飼いたがっていたので、どうせ飼うなら仕草の可愛いビーグル犬がいいなと思い、趣味で猟をやっている友人に頼んであったのだった。 
 早速友人の家に貰いに行くと、何とまだ目も開いていない鼠ほどの生まれたての子犬が奥さんの掌の中で震えていた。 
 「オイオイ、育つのかこれは?」 
 「う〜ん、難しいだろうな・・・昨日生まれたばっかりだから・・・でも、どうせ殺される運命の犬だから試しに育ててみ。」 
 その友人の説明によるとこうだった。その子犬は富士山の麓の須山というところの鉄砲射ちの家に生まれた。もう既に猟期に入っており、子犬を持った母犬は猟に連れて行っても子犬のもとに帰ってしまい、役に立たない。子犬を殺してしまえば母犬は諦め猟犬としての職務に復帰する。故に猟期に入って生まれた子犬は猟師の家では殺されることになっているとのこと。この子犬は5匹生まれた内の1匹。「丁度殺されようとしているところへ俺が行き合わせて1匹だけ貰って来たんだよ。こいつは運のいい子だ。他の4匹ははもう死んでると思うよ。」とその友人は平然と説明した。何と残酷なことだろう。しかしこの1匹も育つかどうか分からない。先に死んだ4匹の兄弟達より2〜3日生き延びるに過ぎないと言うことになるだけかもしれない。 
 
 今更辞退するわけにも行かず、貰い受けて家に帰った。まだ母親のオッパイも飲んだことのない子犬を一体どうやって育てたらいいのだろう??? 
 暖かい部屋の中で、粉ミルクを溶いて小皿に入れ口元に近づけてもダメ、末の息子も幼稚園に入り要らなくなった哺乳瓶を使っても飲まず、脱脂綿に含ませて口に含ませてもダメ。思案に暮れた挙句、私の中指の先を乳首代わりにして、人差し指と中指と薬指の間にミルクを流すと、ほんの少しずつではあるが美味しそうに飲み始めたのである。この時点から私はこの子犬の母親代わり、毎日私の指先からミルクを飲み続け、すくすくとしかも逞しく成長した。 
 当時幼稚園児の長男がジャッキーと名づけた。 
 
 暮れも正月も家の中で過ごし、春になって程ほどの大きさに成長したので外に出すことにした。しかしこれが大変。自分は人間と思っていたのだろう。そして自分の住むところは家の中と思い込んでいたので、外で暮らさなければならないと思い込ませるのが一苦労であった。ちょっとした隙を見せれば直ぐに上がりこんで尻尾を振っているのである。 
 随分と可哀想な思いをさせてしまった。母犬のもとである程度まで育ち、最初から外で生活させていればこんな思いはさせずに済んだのだが・・・。 
 
 今から十年ほど前、家を建て直すことになった。建築期間中、近くのマンションに仮住まいすることになり、ジャッキーは私の実家へ預けることになった。そのときも大変であった。私を父親とでも思っていたのだろう。実家にジャッキーを置いて帰る際は、とても悲しそうな吼え方が何時までも私の背中を追いかけてきた。 
 預けてあった間も、時々暇を見つけてはジャッキーに会いに行った。 
 実家の母の話だと、私が実家に立ち寄る1分くらい前になると必ずジャッキーが嬉しそうに啼き始めると言うのだ。多分かすかな私の車のエンジン音を聞き分けていたのだろう。私も実家まであと100メートルくらいのところまで迫ると、ジャッキーの鳴き声が聞こえた。 
 それが1年ほど前から耳が遠くなり始め、お座りしているところを後からそっと近づくと全然気付かず、直ぐ近くに行って「ジャッキー」と声をかけると、ビックリして飛び上がり攻撃態勢になるのだが、直ぐに私と気付くと体裁悪そうに、下を向いて尻尾を振りながら、あたりを円形に歩き回るのだった。そして、今はもう、声をかけても反応することはない。 
 
 家の近くの公園に毎日散歩に連れて行ったのだが、どこかの犬好きの知らないおじさんが名前を聞き違えて、よくラッキーと声をかけてきた。 
 そうなんだ、こいつは生まれつき幸運の持ち主なんだ。他の兄弟達はみんな殺されたが、こいつだけ生き延び、しかも頑丈な身体に育った。ラッキーもう一度お前の強運で立ち直ってごらん。もう一度お前の雄姿を私に見せてくれ。



 
  2005. 10. 1. Sat
      愛犬ジャッキーB
  
 どうも妙なことになってきた。 
 昨日の夕方、ジャッキーのそばへ行くと、ここ2〜3日同様だるそうに頭をもたげてとろんとした眼でこちらを見た。立ち止まって暫く見守っていると、のっそりよたよたと立ち上がった。四日ぶりのことだ。 
 私の足元といつも散歩に行く方角をよろけながらよたよたと行ったり来たりした。いつも行っていた公園へ散歩に行きたいんだなと思ったが、この足取りで公園までもつだろうかという懸念もあったので、「ジャッキー無理だよ。また元気になったらな」と言いながら、元気になることがあるのか?と言う思いに苛まれていた。 
 しかしジャッキーは諦めることなく恨めしそうな顔をしながら、よたよたと行ったり来たりを繰り返す。 
 
 ヨシ!これが最後の散歩になるかも知れない。行ける所まで行ってこよう。そう思って公園に向かった。元気な頃なら駆け足で二〜三十秒で行けた公園も随分と遠くなった。数分かけてよたよたと二人で歩いた。もう走り回ることはできない。以前のように飼い主をグイグイ引っ張りまわすこともできない。ゆっくりゆっくり好きなように歩かせた。時折、用をたすようなそぶりをするが四日間何も食べていないのでおしっこは少々出たものの便は出ない。便を入れる袋は綺麗なままだ。 
 おしっこもオス犬特有の後ろ足の片方を上げて得意気に電信柱の上の方にひっかけるなんて真似はもうできない。片足上げようものならとたんによろけるだろうし、それ以前に片足あげる余力はもうない。 
 公園の中をゆっくりゆっくり歩いてから、家に戻った。 
 きょうは少し運動をしたのだから食べてくれるかなと思い、ドッグフードを差し出したがやはり顔を背ける。大好きだったりんごを与えても顔をそむける。りんごを摩り下ろしてもダメ。 
 やはりダメかと諦めかけているところへ息子が出てきてご飯を少し与えた。すると食べた。 
 「オオッ!食べたじゃん。もっと持って来い。」 
 実に四日ぶりに掌一杯分ぐらいのご飯を食べた。 
 「やっぱり日本人は米だ!ジャッキーは日本の犬だ。」と息子と笑いあった。少し光明が差してきた。だがまだまだ予断は許さない。直ぐにふにゃっとくず折れるように横になり小刻みに震え、眼をトロントさせてしまった。 
 「まあいい、ゆっくりお休み。」そう言って家の中に戻った。 
 
 今朝早く、不安と期待がごちゃ混ぜになった重い心と少しのご飯を持って、ジャッキーを見に行った。やはりダメだ。息はしているものの起き上がろうとはしない。いくら声をかけても殆ど反応がない。 
 暫く眺めていると、時折薄目をとろんと開き一瞥するだけ。 
 「ハイ、ご飯だよ。」と鼻先に差し出しても全く興味を示さなかった。 
 まあそう簡単に奇跡なんか起こりっこないさ、と自分に言い聞かせて、その場を離れた。 
 その後もジャッキーは殆ど寝ているか、時折お座りの姿勢をとってはぶるぶる震えながら前足をコックリコックリさせていた。横になっていればいいのにどうしてあんな無理な格好をするのだろう?と見るのが辛いのでなるべく見ないようにしていた。また、ジャッキーの方もそんな姿を見ないでくれと言っているようだった。 
 野生動物は人知れず、静かに死んで行くんだからもう見に来ないでくれよと言っているようで、野生の気高さの片鱗を残しているようにも思えた。 
 
 夕方になっても状態は変わらなかった。 
 私は試しに、散歩用のリードと紙袋を持って、ジャッキーの前に差し出し、「どうだ、行くか?」と声をかけた。すると、顔がぴくっと動いた。 
 ああっ、分かったんだ!反応した!と思った。 
 次の瞬間、ジャッキーがよろよろと立ち上がった。尻尾がかすかに左右に揺れている。「ヨシッ!行くか。」今度こそ最後の散歩になるかも知れない。でもいい。ゆっくり行こう。 
 前日同様、ヨタヨタしょぼしょぼと歩いて公園に向かった。 
 
 散歩から戻って、ご飯だけでは栄養が取れないだろうと思って、白いご飯に花かつおを混ぜて与えてみた。すると前日よりも美味しそうな顔をして食べた。おにぎり一個分ぐらいの量を食べた。続けてドッグーフードも与えてみたがやはり顔を背ける。りんごも差し出してみたが顔を背ける。白いご飯しか興味を示さない。 
 ジャッキーお前は日本人なんだなあ〜。 
 
 またどうやら一日生き延びたようだ。また不安な夜を迎え、不安な朝を待たねばならぬ。しかし夕べよりは少しだけ光明があるような・・・。



  2005. 10. 2. Sun
      猫になったジャッキーC

  
 朝起きて恐る恐る窓越しにジャッキーを探す。いつもの場所に寝そべっている。 
 ジャッキーは小屋が嫌いで、雨のとき以外は小屋に入らない。いつも地面に寝そべっている。 
 毎度同じ思いをするのだが 窓越しに見るジャッキーはピクリとも動かない。呼吸をしているかどうかも分からない。恐る恐る確かめに行かねばならない。近づいても息をしているかどうか判別できない。 
 そばにしゃがみこんで覗き込む。微動だにしない。ああ〜と一瞬思いかけたその時、赤ちゃんが良くするモロー反射のように手足をピクッと動かして大きく深呼吸した。「ジャッキー」と呼んでも反応はない。ぐっすり眠っているのだろう。「ヨシヨシゆっくり寝ていろ」とその場を離れる。 
 
 状態は前日と殆ど変わらない。殆どの時間寝ている。時折お座りのスタイルをとっても、眼を閉じたままコックリコックリやる以外は寝ている。恐らく一日24時間の内23時間は寝ているだろう。しかし、今までに比べて表情から切なさは感じられなくなったような気がする。お座りの姿勢でコックリコックリやっている時はいかにもしょぼくれた感じだが、寝そべって眠りについている時はむしろ気持ちよさそうに寝ていると感じ取れるくらいだ。少しは状態が上向いているのだろうか? 
 年を取るとこう言う生活パターンになるのかも知れない。以前ニュースで、沖縄だったか、百歳を超えたおばあさんが二日間寝ては少しだけ眼を覚まし、また二日間眠り続けると言う生活パターンの繰り返しをしていると言う報道を見たことがある。ジャッキーもそうなるのであろうか? 
 犬は健康なときでさえ人間よりはるかに多くの睡眠時間を必要とするそうだが、年老いた犬が日に23時間寝ることは普通のことなのかも知れない。野生なら、餌をとることもできないからそのまま死ぬのだろうが、飼い犬では新しい生活パターンが許されるのだろうか? 
 
 午後になってジャッキーのそばに行くと、寝そべったまま薄目を開けてこちらをチラッと一瞥し直ぐにまた知らん顔で寝そべったままだった。 
 「ジャッキー」と声をかけても無視。 
 複雑な思いが、いつもの散歩の時間まで待たせてくれない。少し早いがまあいいか。 
 散歩用のリードを手に持って「ジャッキー行くか?」と声をかけた。するとピクリと顔を上げこちらを見つめる。ここ数日のとろんとした目つきでも、あの爺臭い薄目でもない。きりっとした真ん丸く見開いた目つきで私を見据えた。 
 ヨシ、これはいいぞ!と思った瞬間ジャッキーはよろよろと立ち上がった。まだおぼつかない状態ではあるが、四本の足がしっかりと大地を踏みつけている。そして尻尾がはっきりと左右に揺れている。 
 「ヨシいいぞ!ジャッキー、偉いぞ!じゃあ行くか!」 
 前日同様、ゆっくりゆっくり歩いた。 
 天かける天馬のような勇士を思い浮かべていた私にとっては、奇跡と言うにはあまりにも隔たりのある歩き方だ。しかし多くを望むのはあまりのも非常識。人間で言えば九十を過ぎたおじいさんが天かけるペガサスになれるわけがない。 
 いいよジャッキーこのままで十分だ。ゆっくりお前に付き合ってやるよ。お前が燃え尽きるまで。 
 
 散歩から帰っていろいろな食べ物を試してみたが、やはり削り節をかけた銀シャリしか食べない。所謂猫マンマである。「オイ、お前は猫かあ〜?」 
 まだまだ食は細いがそこそこ食べた。 
 大事なことを見落としていたことに気付いた。人間でも病後はさっぱりとしたお粥から始める。お粥と梅干或いはそれに削り節と言ったところ。大病して直ぐに酢豚やレバニラ炒めやステーキを食べたがる奴はいなかろう。ましてや年寄りならば病気でなくても脂っこいものは敬遠したかろう。犬だって同じに決まっている。 
 私は、熱中症にかかって体力の消耗した老犬に何とか栄養をつけようとそればかり考えていた。だが違ったのだ。病後の老犬が、魚のアラ等で作ったこってりしたドッグフードなんて食べる訳がなかったのだ。 
 まあ、猫でもいいさ。当分猫マンマを食べなさい。 
 
 しかし、きょうの朝刊に重油の値上がりで遠洋漁業に出ると赤字になってしまうので、出航を見合わせ、漁港に錨を休めたままの漁船が相当数あると書かれていた。このまま重油の高値が続くと、削り節も遠からず日本の食卓から姿を消すことになりそうだ。 
 そうなったら・・・オイ、ジャッキー大変だゾウ〜! 
 
 ジャッキーの状態は明らかに上向いている。これから長い戦いになりそうだ。日記にも暫くお前のことを書けそうだ。 
 ハハハ・・・年寄り同士、一緒にゆっくり歩いていこうか・・・?



  2005. 10. 3. Mon
      雄犬に戻ったジャッキーD
  
 猫飯では大失敗をしでかしてしまった。初日と二日目は量が少なかったので問題が発生しなかったのだと思うが、一昨日は量を増やしたため、乾いた花カツオが上顎に張り付いてしまったのか或いは喉に詰まらせたか、げっげっがっがっ・・・と苦しそうにもどそうとするので一瞬焦った。やはり犬に猫飯そのままはいけない。それ以降、水分を加え喉の通りを良くするように工夫した。 
 
 散歩に行く時と猫マンマを食べるとき以外は、一日の大半を寝て過ごし、本当に猫になってしまったかと思われるジャッキーも日に日に状態は良くなってきているようだ。 
 相変わらず走り回ることはできないが、きょうもたっぷりと時間をかけて短い距離の散歩を楽しんだ。 
 きょうはいつもより遠出をしてみた。遠出と言っても家からほんの数百メートルのところ。ここ数日より二百メートル程余分に歩いただけだが、毎年鴨の家族が渡ってくるどぶ川のような用水路まで行ってみた。ジャッキーは楽しそうに草むらに鼻を突っ込んでは匂いをかぎまわりながら、生きていることを実感しているようだった。 
 鴨の一家は旅立ってしまったようだ。ジャッキーお前は旅立たんで良かったな。 
 清風万里の秋、今は蝉の声も聞こえず、そのむくろも土に返ったのであろう。草むらや用水路の水面を渡る爽やかな風が吹き抜けてゆくだけ。 
 
 散歩の途中で用を足した。ジャッキーはよろけながらも心もち後ろ足の片方を上げ、用を足した。何処となく得意げだった。高々と片足を上げ、とは行かぬが、遠慮がちに上がった片足が「どうだ!」と言いたげだった。お婆さん犬スタイルから雄犬のスタイルに戻ったのだ。 
 きょうは便も出た。便処理用の紙袋が漸く役に立った。便はドッグフードしか与えない犬のそれ特有のコロッとした硬い奴ではないが、それでもしっかりと形の崩れないもの。私は便処理用に、名前はなんと言うのだろう?長いステンレスの板を二つ折りにした火箸のような、火のついた炭を掴む道具を持ち歩いているが、それでつかんでも壊れないしっかりしたものだ。どうやら内臓は正常に機能している。これなら大丈夫だろう。後は食欲さえ戻ればやがて体力も回復するだろう。 
 
 ジャッキーの表情からは切なさはすっかり消えている。相変わらず寝てばかりだが、その表情は安らかだ。どうやら、もう暫くは私の手を煩わせたいらしい。まあいいさ。面倒見てやろうじゃないか・・・。



  2005. 10. 7. Fri
      ビーグル犬E
  
 ジャッキーはすっかり元気を取り戻し、今では散歩の際、私の前を歩くようになった。 
 このビーグル犬は犬の中でも最も躾けるのが難しい犬だそうで、犬の訓練師の話によると、気性は常に犬の中のボス。飼い主を差し置いて自分がご主人様だと思っている節があるとのこと。服従させるのが最も難しい犬らしい。 
 ウチのジャッキーも成犬になってから、吠える声が大きいため、ご近所に迷惑をかけるといけないので、なるべく吠えないようにしようと、犬の訓練所に入れようと思ったことがある。 
 5〜6軒の訓練所に電話して、「お宅では犬が吠えないように躾けてくれますか?」と質問するとどこも「ハイハイやっておりますよ。」と答える。そして間髪いれずに、「で、犬種はなんですか?」と聞かれる。「ビーグルです。」と答えると、「ええっ!?・・・生後どれくらいですか?」と畳み掛けるように。 
 「3歳です。」と答えると、何処の訓練所も、「それは無理です。生まれたてならまだしも、大人になったビーグルを躾けるのは100%不可能です。」と言う答えが返ってきたのである。訓練所によって100%が99%に変わる程度の差しかなく、電話した全ての訓練所に入所を断られた。 
 丁度同じ頃テレビ番組で犬の調教のことを取り上げて、ビーグルに関しては同じような説明をしていた。と、同時に調教の第一歩は散歩の際、飼い主より前に出ないように躾けることと解説していた。飼い主より前に出たらリードを強く引いて反対に向きを変えて歩く、また前に出たらまたリードを強く引いて向きを変えて歩く。この繰り返しだと説明していたので、ひところ散歩の際毎日のようにやってみたが、ついぞ服従することはなく、常にご主人様を引っ張りまわした。 
 具合が悪くなってある程度回復し、散歩にいけるようになった数日だけは私の後からとぼとぼとついてきたが、もうここ2〜3日前から、以前のように先に立って、自分に着いて来いと言わんばかりに肩肘を張るようなスタイルで歩くようになった。私としてはもう今更この犬を躾けるつもりはさらさらない。以前のようなヤンチャ振りがむしろ嬉しい。 
 また、このように絶対服従しないところが個性的であり、この犬の魅力となっている。



その後のジャッキー

ジャッキーは、その後2年間生き延びた。1年目は息災であったが、その次の1年を迎えた辺りからすっかり足腰が弱り、私より速く走ることはできなくなった。
 そして、2007年が始まったばかりの頃、再び生死をさ迷った。
 その時も「安楽死をさせる気になったら連れてきてください」と獣医にも見放されたが、持ち前の強靭な生命力で何とか持ち直した。しかし、後遺症が残った。その時以来、腰を痛め、後ろ足は硬直してしまい走ることはおろか、スムーズに歩くことさえできなくなった。そのため後ろ足を引きずるようにして歩いていた。歩く距離が長いとヘタリ牛のように腰がくだけて動けなくなるので、以前は隣の町内にある公園まで散歩に連れて行ったのだが、最後の数ヶ月は猫の額ほどの我が家の庭で放してやり、散歩させていた。

 
そんな状態ではあったが、9月30日の夕方はむしろ普段よりも元気で、いつもの量の夕飯もぺろりと平らげ、足りなそうな顔をして私を見上げたのだった。まあ、15歳10ヶ月の、人間で言えば90歳か100歳位の高齢の犬であるから、いつ死んでもおかしくはないのだが、その時は急変するようにはとても思えない状態であった。


 そんな生活を送っていた2007年10月1日未明、小田原を震源とする地震のかなり大きな揺れがジャッキーを襲った。
 
揺れの後、ふと気付くと外から、ジャッキーの悲しそうな鳴きごえが聞こえてきた。
 当初は、地震の激しい揺れに恐れをなし、腰を抜かして鳴いているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。若い頃は良く吠えた犬だが、年をとってからは夜間に吠えたことはなかった。尋常の鳴き方ではない。不安が胸をよぎり外へ様子を見に行った。
 ジャッキーは小屋の中で横になったまま、足をばたばたさせ、起き上がることができない様子。横向きの状態だが頭を背中の方にそっくり返し起きていれば上を見るような格好で、苦しそうに歯を食いしばってもがいている。後ろ足は以前から硬直していたが、前足をばたばたさせてもがきながら、時折、悲しそうな苦しそうな泣き声を発する。「おい、ジャッキーどうした」と呼んでも反応はない。三度目の正直、今回ばかりは手の下しようがない。瞬間に覚悟を決めていた。
 恐らく地震のショックで前頭葉にダメージを負ったのだろう。


 結局、ジャッキーは夜通し、時々思い出したように悲しげな苦しげな鳴き声を発しながら過ごした。夜が明けてもその状態は変わらなかった。事務所で仕事をしていても、ジャッキーのうめき声が聞こえてくると気が気ではない。未明から鳴き続けでは近所から苦情が来てしまう。そうこうしている間に、かなり苦しそうに激しくうめき声を上げ始めた。仕事も手につかないので、そばに行き、「よし、よし」と体を擦ってやった。最初に触った時はびっくりして前足をばたつかせたが、「よしよし、俺だ、俺だ、お父さんだよ」と声をかけると、大人しくなった。目は瞑ったまま苦しそうにそっくり返って顔を上げることもできないが、どうやら、声だけは私と分かるらしい。擦るのをやめると前足をばたつかせ悲しそうなうめき声を上げるので、「よしよし、もう頑張らなくていいよ。長い間、ご苦労さん。早く楽になりなさい。」と声をかけながら、暫くジャッキーの体を擦り続けた。その内静かになり、死んでしまったのではないかと思わされたが、昏睡状態と言うのだろう、深い眠りに就いた。私はその場をそっと離れ仕事に出かけた。
 
10月1日の夕方、家に戻るとジャッキーはまだ頑張っていた。私が仕事に出かけている間に隣町に住む長女は別れを言いに来たようだった。
 横になったまま起き上がることはできないので、自力では食べ物も飲み物も一切摂取できない。掌に乗せた水を指に伝わせて口の中に入れてやると、上下の顎と舌を動かし、なんとなく嬉しそうに飲んでいるような感じ。

 これが末期の水と言うものだろうか。明日の朝には冷たくなったジャッキーと対面することになるだろうと確信した。

 しかし、10月2日の朝、ジャッキーはまだ頑張っていた。ジャッキーの悲痛な呻き声を聞かされながらの朝を過ごす。昼前になって箱根に住んでいる次女が駆けつけてくれた。娘は、このままでは床ずれができちゃうからと、ドライバーを持ち出し、螺子をはずして小屋をばらばらにして、作業しやすくして、ジャッキーの向きを変えてやった。たった一日半で、見事に床ずれができていた。人間で言えば肩、肘の横、膝の横等、小屋の床に当っていた部分。相当もがいたに違いない。

 娘は小屋の床とほぼ同じ高さになる台を持ってきて、小屋の入り口に置くと、その台の上にジャッキーの頭だけを乗せ、首から下は小屋に、頭だけは小屋の外に出るようにし、再び小屋を組み立てた。屋根だけはいつでもはずせるように、乗っけるだけにした。なるほどこれなら水をやるにしろ、頭を撫ぜてあげるにしろ、小屋を掃除するにしろ作業し安い。娘の機転を少し誇らしく思える。

 娘は高齢用ペットミルクと言うのを買ってきて、夕方まで付きっ切りでミルクを与えながら介抱し続けた。
 夕方、ジャッキーを見ると、娘が来るまでは、苦しみに耐えていると言う顔つきであったが、こころもち満足したような顔に見えた。
 私はジャッキーが死ぬのは時間の問題と決め付けていたし、野生の誇りを失ったボロボロの状態の犬が、いつまでも醜態を曝しているのは辛かろう。早く楽になってもらいたいとそればかり考えていたが、娘の行為を見て少し考えが揺らいだ。それは、自分自身が常々、自分で自分の世話ができなくなったら、今のところまだ法律では許されていないが、尊厳死を選びたいと考えていたので、ジャッキーもそうだろうと勝手に思っていたのだ。しかし、娘がスポイトで与えるミルクを必至に飲み、起き上がることができなくても、尚も生に執着し、娘に介護されたことによって満足げな顔をするジャッキーを見ると、「ほほ〜、こんな症状でも娘の愛情を感じ取って嬉しいんだな・・・」と、自分は兎も角として、他のものに勝手に尊厳死を押し付けてはいけなかったのだな、と少しばかり反省することになった。謂わば、娘に教えられた一日であった。 しかし、夜になるとまたしても悶々と「このままで良いのだろうか?」と自問自答しなければならなくなった。ジャッキーは前夜に続き、夜通し、思い出したように苦しみの鳴き声とも、不安に苛まれて誰か傍にいてと甘えの鳴き声とも、うめきともつかぬ声を出し続ける。その度に起こされて床を抜け出し、ジャッキーに水を与えたり、擦ってやったりしなければならない。「ヨシ、ヨシ」と言いながら擦ってやると、安心したように眠りに落ちる。ホッとして床についても1時間もするとまたもやジャッキーの鳴き声に呼ばれる。その繰り返しが続いた。

 10月3日もジャッキーの症状は変わらなかった。だが、かすかに力強さが戻ってきたような感じはあった。早く楽になってもらいたいと言う気持ちと、もしかしたら三度、奇跡的に持ち直すのではと言う気持ちの葛藤が、私の心の中で続いていた。しかし、時々、娘からのチェックのメールが入る。「ジャッキーの様子はどう?」「お父さん忙しいだろうけど、時々は頭を撫ぜてやってね。」「きょうはミルクどれくらい飲んだ?」
 ヤレヤレ、私はすっかり犬の介護師だ。


 寝たままではあるが、試しに柔らかくしたドッグフードを口の中に入れてみた。するとぺろぺろと舌を動かし飲み込んだ。『こいつ、もしやまた復活するつもりか!?』
 生に執着するジャッキーは10月3日の夜も私をゆっくりとは眠らせてくれなかった。

 10月4日も同じような症状だった。ドッグフードを食べる量は前日より確実に増えた。
この日は、獣医が気の毒がって鎮痛剤を処方してくれた。おかげで4日の夜は久しぶりに安眠を勝ち取った。ジャッキーも今までにない柔和な顔つきで5日の朝までぐっすり眠ってくれた。


 10月5日もジャッキーの症状はかわらない。朝、ドッグフードとミルクを与える。長い戦いになりそうだ。ヤレヤレ・・・。

 介護の長期戦を覚悟したばかりであったが、10月7日、ジャッキーはついに力尽きた。満16歳を目前にして15年と10ヶ月の生涯を閉じた。獣医が処方してくれた鎮痛剤のおかげだろうか、苦しそうな表情は殆ど見せず、柔和な顔つきで眠っている内に息を引き取った。

 その日の晩は人間並みに通夜と言う事で、一晩家において、翌10月8日、10:30に出棺とでも言おうか、段ボール箱の棺で、火葬場に向かった。火葬場にて最後のお別れをし、11時頃荼毘に付し、午後1時のお骨上げだった。
 ジャッキーは人間と同じように小さな骨壷に入った。


 その埋葬業者には、お骨は「お預かり」「共同埋葬」「お持ち帰り」とコースがいろいろあったが、とりあえず家に連れて帰ることにした。

 帰りがけに長女から、実はもうじき17歳だったと聞かされた。いや16歳だろう、と論戦になったが、「私が11歳の時に来たのだから間違いない。」と言われ、納得した。どうやら何処かの時点で1歳さばを読んでたようだ。いい加減な飼い主にジャッキーも今頃呆れているだろう。

 友人が私を励ますために、↓あるサイトを紹介してくれた。
 
http://www.geocities.jp/wan_nyan_niji/niji.html
 このサイトのお話に拠ると、ジャッキーは今頃、虹の橋のたもとで私を待っているようだ。ま、私がそこへ行くのも、そう遠いことではない。





2008年3月28日

 ジャッキーの骨壷は、まさか、お袋やオヤジの仏壇に一緒に置くのも憚られたので、階段を上がったところの直ぐ脇にある小さな窓の前の棚の上に安置された。

 二階に上がった折には、その骨壷の前に飾られた小さな写真にどうしても眼が行く。その度に「ぴ〜、ピ〜」と口笛を吹くのだが振り返ることはない。
 「ピー、ぴ〜っ!こら!こっち向け!!」

 あれからもう半年になりなんとする。
 先日、娘が帰宅した折、「ジャッキー、そろそろ山にでも散骨してやろうか・・・」と言ったところ、( ̄д ̄) エーと言う顔をされてしまった。

 この分では当分娘からの「お許し」は出そうにない。

 ま、もう暫く一緒に居るか・・・α~ (ー.ー") ンーー