風の気のままに気

    デジカメを持ち歩くようになって、この一年余りの間に、自分のモノを見る眼が随分と変わったように思う。
 先ず、デジカメはフィルムカメラと違い、何枚撮ってもコストがかからないから、ちょっとしたものでも惜しげなく撮影できる。だから普段気にとめなかったもの、と言うより気にとめたくなかったものまでも気軽に撮影できるようになった。それにより、普段気付かなかったこと、見落としていたことが見えるようになってきた。
 特に、マクロ撮影にいたっては、撮影時、気付かなかったものが写っていて、「なんだ!こんなものが?!」と驚かされることがよくある。綺麗な花を写したつもりが後で見たら、花芯に何かの幼虫がのたくっていてがっかりしたり、その逆に、花だけを写したつもりがシャッターを押した瞬間に蝶が止まり、劇的な映像に一人感激したり、サプライズの連続である。 
 
 最近では、身近な植物に関心を持つようになり、所構わず写しまわっているのだが、ほんの一年余前まではチューリップ以外は全て雑草でOKだった私の感性がそれを許さなくなった。 
 左にアップした写真の花も非常によく似ていて、以前ならどちらも雑草でOKだったが、自分なりに心動かされたオブジェの写真は、第三者にも自分と同じ感動を享受してもらいたく、ネット上に掲示したりしたくなるのだが、それに連れて「少しでもクオリティーの高いものを」と向上心に似たものをもつようになるから不思議だ。 
 また、ネット上に掲示する場合には当然オブジェ毎の区別が必要となり、チューリップ以外は全て雑草と言う訳には行かなくなる。 
 左の2枚の写真も家の近くの公園に並んで咲いていたのだが、最近になって別々の植物であることに漸く気付いた。 
 上がフユサンゴ、下がイヌホウズキとのこと。どちらもナス科の植物とのことなので似ていて当然だが、実は似て非なるもの、実が全然違うそうな。 
 今回の撮影では花の比較しかできないが、次回、実の比較ができれば幸いである。結実後の写真が撮れると良いのだが・・・ 
 しかし、一つの植物の年間を通しての記録はなかなか難しい。 
 今春、家の近くの愛鷹山でマムシグサを撮影した。異様な形で好きな植物ではないが、夏に、翡翠の玉で玉蜀黍のレプリカを作ったような植物に出会い、「これは何だ?」と思い、すかさず撮影した。後になってそれがマムシグサの結実した姿と知ったが、以来、そいつのことが妙に気になり時々愛鷹山を訪れた。 
 秋が深まるとその実が真っ赤に染まると聞かされていて、それを楽しみに山に入ったのだが、温暖化の影響だろうか秋になってもなかなか赤くはならなかった。暫くして、「いくら何でももう少しは色づいただろう」と思って山に入ると、それがいつもの場所にマムシグサはなかった。きっと誰かが持って行ってしまったのだろう。 
 大きな魚を釣り逃がしたような虚しさを感じた。
 
 まあ、フユサンゴとイヌホウズキも、人が大勢出入りする公園の植物であるから何時までそこに存在できるかは期待できない。それも止む無し。
2005. 11. 17. Thu