風の気のままに記

  2006. 3. 4. Sat
  
 朝起きると快晴。暫く自然に触れていなかったせいか、うずうずとしてきた。思い立ったら行かずにはいられない性格。即出発。 
 新緑にはまだ早い春3月、箱根の原生林に入る。森に入るとしとしとと雨。奥に進むにつれ音を立てて降りしきるほどのかなりの雨。 
 ・・・おかしいな、快晴だったのに・・・木々の間から空を仰ぐとまぎれもなく快晴。なんと前夜の雪を頭上の枝枝が蓄え少しずつ雫をたらしているのだ。更に驚いたことは、山道を登るにつれ気温も下がり、樹上に積もった雪は粉雪のまま。それが時折吹く風に巻き上げられ、粉雪となって降ってくる。自然の妙技に暫し感嘆した。 
 ずっと以前のことだが、夏この森に入った。静かな森に時ならぬざわめき。その音の主はにわか雨。その後、この森を抜けるまで小一時間かかったのだが、なんとその間一滴の雫も降ってこなかった。頭上の葉が全て受け止めていたのだ。その葉たちはその後しとしとと少しずつ水を地面に供給する。この広葉樹林の保水力の裏側に潜む大自然の仕組みに感動した。 
 
 山道を更に登ると、地面に降った雪も融けずにそのままだった。何やら分からぬが四足動物の足跡以外人の足跡は一つもない。「ラッキー!」きょうもこの森を独り占め。新雪を踏みしめる心地よさを満喫しながら山道を登る。 
 
 きょうこの森に入ったのは、久しぶりにあいつに会いたくなったからだ。推定樹齢700年といわれる巨大ブナ。この森の主である。元気でいるであろうか? 
 目的の場所に着くとあいつがいない。跡形もない。おかしいな、道を間違えたのだろうか?どこを探してもあいつはいない。確かにこの場所であるはず。その証拠に標識だけはあった。仕方なく狐につままれたような気持ちで遊歩道を進んだ。 
 この森の真ん中辺りにちょっとした広場があり、そこには郵便受けに入れられた入山日誌がある。不審を感じながら入山日誌を読む。18年度版なので今年のことしか分からないが、やはり1月の最初に入山した人が、「巨大ブナがない。残念!でも雪の中を歩けて気持ちよかった。」としたためてあった。 
 私は一昨年の春ここに来ている。そのときは巨大ブナは存在していた。 
 「そうか、やはり去年か一昨年の後半になくなったのだ・・・」そうつぶやきながら帰り道についた。 
 一昨年会ったときは、樹精は衰えていたとはいえ。まさか私より先に逝くとは思えなかった。帰ってから知り合いに聞いたところ去年の5月頃逝ったとの事。死因は老衰。 
 老衰とはいえ、本来の環境ならまだまだ生きていても不思議はない。やはり環境の悪化が気になる。その環境の悪化には私も少なからず寄与している。人間が生を営む以上、環境に与える悪影響は避けられない。人間の存在そのものが自然界には害であり続ける。その不条理にしばし呆然。


※写真は在りし日の巨大ブナ