風の気のままに記

 
  2006. 2. 25. Sat
      重信被告に懲役20年
  
 2〜3日前の新聞の見出しが妙に頭にこびりついていた。随分と懐かしい名前だ。あのころ我々団塊の世代は少年と青年の境目ぐらいに差し掛かっていたのだろうか? 
 「安田城の攻防戦」、「突入せよ浅間山荘」、「大菩薩峠、暁の襲撃」等の一連の事件を、単なる傍観者としてテレビに釘付けになっていた者もいれば、流感にかかった程度に実際に当事者として銀座辺りでゲバ棒担いだ者もいれば、もっと深くのめり込んで、革命を夢見て未だ所在の分からなくなった者もいる。 
 いつの時代にも体制になじめない人間はいるものだ。これは人間である以上、個々人によって信条が違うのだから仕方ないと言うか、居て当たり前のことである。それらの体制になじめない状況を打破しようとする表現が「世直し」と呼ばれたり「革命」と呼ばれたりするのであろう。 
 その表現のし方が、ある時は宗教であったり、武家社会の台頭であったり、維新であったり、学生運動であったり、その学生の中の一部の「跳ねっ返り」が夢見た世界同時革命であったりしたのだろう。 
 
 革命は自分の精神の中だけでやれば犯罪にならないが、他人を巻き込み世の中に迷惑をかけると犯罪になるのである。ましてや世界同時革命なんて大きなお世話もいいところ。成功すれば勝てば官軍も、失敗すれば末は今回の重信房子のような裁きが待つこととなる。 
 パレスチナ開放にしても、イデオロギーよりも宗教が社会的規範を支配するその地域の、歴史もまたモザイクのように入り組んだ宗教事情も理解できない日本人が口を出せるような問題ではない。実際、テルアビブの空港で機関銃を乱射した岡本公三は後に「イスラエルは好きだった。映画・栄光への脱出を見て感激した。」と、行いとは矛盾した述懐をしている。 
 
 しかしながら重信房子は、あの当時日本赤軍のリーダーとして戦闘服に身を包み機関砲を肩からかけて、どこぞの砂漠でジープに腰掛け、ポーズをとって微笑みかけている写真が新聞に載っていたが、若干下膨れの顔ながら、ふくよかな美人というイメージで、同時期、陰惨な終末を迎えた連合赤軍の永田洋子に比べ、世界同時革命を夢来て、妙に明るいイメージの砂漠に散っていったコマンドの一人として、一種独特の共感を覚えたものだった。 
 その重信房子も今は60歳、いいおばあさんの顔写真が新聞に載っていた。いいおばあさんになっても、直接当事者でない人たちを巻き込んでしまったことに対する一連の謝罪はあったものの、真摯な反省がみられないということで懲役20年。 
 「春の修羅 未完の夢を携えて 異邦人の如く裁きをまちぬ」 
 真摯な反省がないという点はこの歌にも窺える。それは「春の修羅」と「未完の夢」という言葉遣いに滲み出ているし、「異邦人の如く」としたのは本来なら英雄として凱旋すべき自分が裁かれる立場に置かれたことに対する不満・無念さであろう。 
 また「見果てぬ夢」とせず「未完の夢」としたのは彼女にとって世界同時革命は単なる夢ではなく実現可能な計画であったはずだったと物語っている。一方、六十歳にして未だ衰えぬ彼女の信念を窺い知ることができる。しかしながら彼女自身が夢を未完のまま終えると認めたことで、彼女の信念の終焉であろうし、また世の中にとっても一つの時代の終焉を告げる歌でもある。 
 
 世直しは一向に達成できない。いつの時代も変わらぬ悪たちが政治や経済を利用して私腹を肥やしつづける。ユートピアは夢のまた夢。革命なんて言葉は死語になって久しいことをいいことに巨悪は栄え続ける。しかしながら、今はただ、世になじめぬ若者たちが精々成人式で暴れるくらい。そこには理想も信念も垣間見ることさえできない。昭和は遠くなりにけり・・・